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(A) 商品世界の二重性, 一 商品世界の存在構造, III 歴史的世界の物象化論

2010/07/24 13:09 に 2010 seibunsite が投稿   [ 2010/07/24 13:20 に junichiro inutsuka さんが更新しました ]

商品=使用価値 (交換価値の質量的担い手) ⇔物在

記号性・メディア

「商品は、さしあたり、その諸属性によって人間の何らかの諸欲望を充たすところの外的対象である」。この有用性が「そのものを使用価値たらしめる」。だが、この有用物、すなわち、単なる物体ならざる商品体は、決して”物在”に有用性という”アスペクト”が押し付けられ”即時的に物在する世界素材が<主観的に彩られた>ものであるかのように理解されてはならない”。マルクスによれば、「商品体そのものが使用価値」なのであります。   p195

価格をもつということは、先廻りして申せば、商品が使用価値とは全然別のあり方をしていること意味します。・・・第一に、すべての商品が価格の単位で度量されるような、或る共通な質に還元されていること。・・・第二に、価格(交換価値)は使用価値をもつもののみがもつということ。・・・この意味で、「使用価値が交換価値の質量的担い手である」ということができます。第三に、しかし、交換価値と使用価値とは決定的に異質であること。・・・私どもは、以下、右にみたように、商品価値、遡っては商品交換において即自的に措定されているところの「共通な質」-使用価値によって担われつつも、使用価値とは端的に異質な或るもの-、価格(交換価値)においてその量的な表現をうるところの商品の質、これを「商品価値」ないしは「価値」と呼ぶことにいたします。   p196

ここにいう「価値」=「商品価値」は、もとより、いわゆる価値哲学にいうところの“価値”一般をカヴァーしうるものではありません。しかし、それが哲学にいう“価値”と“存在領域”や存在性格を同じうするかもしれないということ、しかもこのかちたるや、ハイデッガーのZuhandenseinという把捉においては、-無差別的に包摂されてしまうことによって-その独自的な対象性が看過され、よってもって“対照的世界”の実相を看過・誤認せしめる一因になっているかもしれないということ・・・商品世界はともあれ、使用価値としての対象性と価値としての対象性との、二重の相貌のもとに現象するということ・・・   p197

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