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廣松渉

物象化論の構図
岩波現代文庫
2001.01.16

(a) 情報的世界の二重性, 二 歴史的世界の存在構造, III 歴史的世界の物象化論

2010/07/24 13:17 に 2010 seibunsite が投稿   [ 2010/07/24 13:18 に junichiro inutsuka さんが更新しました ]

情報的世界

情報によって伝達される世界は、眼前に開けている“現実”の世界と殆んど同様に、私どもの意識、いな、心理・生理的な機構に直接的な影響を及ぼし、しかるべき反応を誘発します。この限りで、情報的世界はいわゆる“物的な世界”と同様な実在性を持つということができます。

私どもに如実に開けている世界、すなわち、私どもの“心理的・生理的な”営みに直接的な規定的影響を及ぼしているところの、そして私どもがそれに対して対象的・実践的に関わっているところの世界は、或る意味では、殆んどもっぱら情報化された世界である、・・・“なま”の世界はむしろほんの一部にすぎない、と申しても過言でないように思われます。   p219

情報的世界が現に与えられるとはいえ、それは受信者にレアールな形象として与えられるわけではないのであります。受信者にレアールに与えられるのは“記号”だけであって、情報内容は、いわばイレアールな仕方で、イレアールな形象として与えられるに過ぎません。

記号

商品世界ないしは貨幣との類比は、これにとどまりません。主体の側面についても類比がみられます。受信者は伝達者といわば同じ眼で対象的予見を見ることを先に申しましたが、このようなことが可能なのは、つまり、受信者が記号を“理解”できるのは、伝達者と受信者とが当該記号体系(ラング)の「ラング主体」ともいうべきものにっていること、そして“記号”がマルクス価値論の言葉を転用すれば、一般的言語活動の「凝結体」ともいうべきものを体現していること、このことによってであります。抽象的一般的労働の主体ではありませんが、商品世界における人間と類比的に、いわば抽象的一般的記号活動の主体として、受信者がこのような「者」としてある限りにおいてのみ、はじめて情報的世界が存立するわけであります。

情報的世界は、レアールな記号形象がイレアールな情報内容としてgeltenすること、しかも、レアールな受信者がイレアールなラングの主体としてある限りにおいてのみ現与のものとして拓けるという二重の二肢性、つまり四肢的な構造連関において存在すること、私どもはとりあえずこれを銘記できるかと思います。   p222

(E) 商品世界の四肢性, 一 商品世界の存在構造, III 歴史的世界の物象化論

2010/07/24 13:16 に 2010 seibunsite が投稿   [ 2010/07/24 13:18 に junichiro inutsuka さんが更新しました ]

商品世界における労働生産物の象形文字化 諸使用対象の価値としての規定性は、言語と同様な、社会的生産物

労働生産物が価値物として存立するのは、労働の主体がdas Manとしてgeltenすることにおいてであり、使用価値物として、有用労働の主体が抽象労働の主体として、まさしく言語交通と同じ二重の二肢構造(都合、四肢的な存在構造)で存立するわけであります。・・・この間の事情が最も直截に現れるのが一般的等価価値形態たる貨幣の成立している場面であり、マルクスが彼の有名な価値形態論において、使用価値物が価値物として、具体的人格が抽象的人格として、二重の二肢性において関わり合うところの相対的価値形態と等価価値形態との弁証法的な聯関構造、私どものいう四肢的構造連関を具体的に描出し分析していることは周知のとおりであります。わけても、一般的等価価値形態、貨幣としての貨幣の成立過程と存在構造に関するマルクスの所説は、言語の成立過程、言語的交通の存立構造と直接にアナロガスな論点を含んでおり、労働力市場の成立を俟った資本の総過程の分析、市場価格が成立している場面での構造に定位するとき、歴史的世界の構造を具象的に看取することができます。   p217

(D) 商品存在の物神性, 一 商品世界の存在構造, III 歴史的世界の物象化論

2010/07/24 13:14 に 2010 seibunsite が投稿   [ 2010/07/24 13:19 に junichiro inutsuka さんが更新しました ]

商品の物神的性格とその秘密 抽象的人間的労働の凝結としての価値の謎

商品は「一見したところ平々凡々たるものにみえ」ますが、一面では使用価値という感性的な対象性として、多面では、しかも同時に、価値という超感性的な対象性として、つまり、レアールで且つイレアールな感性的で且つ超感性的な事物として定住するのであって、マルクスが書いておりますとおり、「分析してみると、商品は形而上学的な詭計にみち神学的な意地悪さでいっぱいの甚だ厄介なしろおのであることが判り」ます。   p207

「商品という形態の秘密に満ちた在り方は単に次の点にある。すなわち、商品形態は、人びとの目に、彼ら自身の労働の社会的性格を労働生産物そのものの対象的性格として、これらの事物が自然物として具えている社会的属性として反映させ、従ってまた、総労働に対する生産者たちの社会的関係を彼らの外部にある対象物の社会的関係として映ぜしめるという点にある」。「この倒錯視によって、労働生産物が-感性的でしかも超感性的な、ないしは社会的な、事物-商品になるのである・・・商品世界では、人間の手の生産物が、固有の生命を賦与され、相互間に、そしてまた人間とのあいだに、関係を結びあう自立的な形象であるかのように仮現するのである」・・・マルクスによれば「労働生産物は、それらの交換の内部においてはじめて-使用対象性から分離された、社会的に相等な-価値対象性をうけとる」のであります。「抽象的人間的労働の凝結」という言い方そのものが、実は「人間自身の一定の社会的関係が仮現的物性の形態をとって現れる」商品世界における、汎通的な物神性に即した表現にほからならなかったのであります。   p208

(A) 商品世界の二重性, 一 商品世界の存在構造, III 歴史的世界の物象化論

2010/07/24 13:09 に 2010 seibunsite が投稿   [ 2010/07/24 13:20 に junichiro inutsuka さんが更新しました ]

商品=使用価値 (交換価値の質量的担い手) ⇔物在

記号性・メディア

「商品は、さしあたり、その諸属性によって人間の何らかの諸欲望を充たすところの外的対象である」。この有用性が「そのものを使用価値たらしめる」。だが、この有用物、すなわち、単なる物体ならざる商品体は、決して”物在”に有用性という”アスペクト”が押し付けられ”即時的に物在する世界素材が<主観的に彩られた>ものであるかのように理解されてはならない”。マルクスによれば、「商品体そのものが使用価値」なのであります。   p195

価格をもつということは、先廻りして申せば、商品が使用価値とは全然別のあり方をしていること意味します。・・・第一に、すべての商品が価格の単位で度量されるような、或る共通な質に還元されていること。・・・第二に、価格(交換価値)は使用価値をもつもののみがもつということ。・・・この意味で、「使用価値が交換価値の質量的担い手である」ということができます。第三に、しかし、交換価値と使用価値とは決定的に異質であること。・・・私どもは、以下、右にみたように、商品価値、遡っては商品交換において即自的に措定されているところの「共通な質」-使用価値によって担われつつも、使用価値とは端的に異質な或るもの-、価格(交換価値)においてその量的な表現をうるところの商品の質、これを「商品価値」ないしは「価値」と呼ぶことにいたします。   p196

ここにいう「価値」=「商品価値」は、もとより、いわゆる価値哲学にいうところの“価値”一般をカヴァーしうるものではありません。しかし、それが哲学にいう“価値”と“存在領域”や存在性格を同じうするかもしれないということ、しかもこのかちたるや、ハイデッガーのZuhandenseinという把捉においては、-無差別的に包摂されてしまうことによって-その独自的な対象性が看過され、よってもって“対照的世界”の実相を看過・誤認せしめる一因になっているかもしれないということ・・・商品世界はともあれ、使用価値としての対象性と価値としての対象性との、二重の相貌のもとに現象するということ・・・   p197

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